PUNKとの遭遇。Hi-STANDARDとの出会い。

2016.3.10


随分と間が空いてしまったけど、今回はパンクロックとの出会いから始めようと思う。

僕が通っていた学校は東京の外れで、同じ敷地内に中学と高校があり服装や髪形など自由な校風が売りだった。

中学生の僕は校内ですれ違うパンクスの先輩達を見て「カッコイイ!」(モヒカンでMA-1にブリーチされたジーンズとラバーソール)と、いわゆるビビっと電気が流れる様な衝撃を受けてPUNKに目覚めた。

それから先輩達にくっ付いては服装を真似て修行の様にウォークマンでDISCHARGEを聴く毎日だった。

ある日、アメリカのロサンゼルスに住む親戚からお土産でTHE DICKIESのレコードが送られてきた(母親がパンクのレコードって頼んでくれたらしい)。父親のレコードプレーヤーを譲り受けて聴いた、そのバンドは凄くポップでリズムが早くて変な声だったけど、親しみを感じた。

それからは先輩からハードコアやサイコビリーなど色んな音楽を教えてもらったけど、その中でもアメリカのポップなPUNKが好きになった(ポップさで言うならイギリスのTOY DOLLSもコピバンするくらい好きだった)。

高校生になるとスケボーを始めて、下北沢のVIOLENT GRINDというスケートショップに入り浸っていた。

そんなある時、お店で流れた音楽に耳を奪われ「これ何ですか?」と聞くと、「BAD RELIGION」だと教えてくれた。

哀愁漂うメロディに早いビート、声も良かった。そこからNOFX、PENNYWISE、THE OFFSPRINGなどEPITAPH RECORDSのバンドにはまっていった。

前回の続きに話を戻すと、そんなパンク好きの新米ディレクターだった僕はPUNK ROCK TVの撮影でHi-STANDARDと出会った。

1995年、NOFXのジャパンツアーで渋谷クラブクアトロのライブを撮影する事になった時、ヒカル君がオープニングアクトのハイスタも撮影しようと持ち掛けてきた。勿論、お互いにOKという事で撮ることになった。

その時には撮影スタイルも仲間を連れてHi-8のカメラ3台とPA卓からラインアウトの音をMDレコーダーで録音するなど成長しました。

その日のライブはハイスタから会場のテンションは高く、ステージ前で撮影していた僕は夢中でメンバーにカメラを向けて、あっという間に時間が過ぎた。

会社に戻り編集を始めた時、改めてハイスタの楽曲の格好良さ、同世代がステージで暴れまくる心地良さ、とにかく色んな感情が重なってハイスタの魅力に取り憑かれ、何か始まる様な高揚感と、自分は彼等を撮影したい、一緒に映像ディレクターとして作品を作りたいという気持ちになった。

早速、当時のマネージメントに電話して「番組で紹介したいので資料をください」というと難波君の電話番号を教えてくれた。当時は携帯電話が普及してなかったから自宅の番号だったし、何でも自分達でやるDIYなスタイルが当たり前だった。

そこからHi-STANDARDとの時間が動き出しました。

なんと、その時のライブ映像がYouTubeに上がってたので貼っときます。

次回は何時になるか…ですが、ミュージックビデオの話をしようと思ってます。

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