映像のディレクターを始めて20年!?

2015.4.16


初めまして、VAMの企画運営をしている映像ディレクターのUGICHIN(ウギチン)です。
簡単に自己紹介しますと、1971年東京生まれの44歳(結構オッサンですね)。1995年にPUNK ROCK TVという番組をスタート、同年にHi-STANDARDのミュージック・ビデオ「Growing Up」を演出し、その後は色々なアーティストのMV・DVD・番組を作ってきました。(http://ja.m.wikipedia.org/wiki/UGICHIN)
このコラムは今まで演出してきた作品やその制作エピソードを20年の節目という事で(飲みの席でしか話さなかった様な事ですが)ちょっとずつ紹介します。知識も経験もないただの若僧がPUNKが好きってだけで今まで続けてるのは何故なのか?想い返してみようと思うのでお付き合いください!

 

 

「この仕事を始めるキッカケ」
まずは高校卒業してバイトしながら「将来どうしよっかなぁ」なんて考えてる時、友達の家で何気なく見た雑誌(STUDIO VOICEだったかな?)にジム・ジャームッシュっていう映画監督の記事が載っていました。映画監督っていったらスピルバーグとか黒澤しかイメージに無かったから、この白髪でロックバンドのメンバーみたいな人も映画監督なんだ?と凄く興味が湧いて「この人みたいになりたい!」って漠然と思った。それからレンタルビデオ屋(当時はもちろんVHS)で「パーマネント・バケーション」と「ストレンジャー・ザン・パラダイス」という作品を借りて観てみると映像はモノクロで音楽やファッションが格好良くて、派手なストーリーじゃないけど若者の感覚が詰め込まれててドキドキした。それまで映画といったらデートで流行りのを観に行く程度だったけど、いわゆるアメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品や面白そうなタイトルの映画を観まくって家族や友達には「俺、映像の仕事してみたい」って話す様になった。その後、知り合いから開局間もないスペースシャワーTVを紹介してもらって「何の会社かわかんないけど大好きな音楽と映像が両方ある仕事なんて最高じゃん」っていう事で働き始めました。

 

 

「始めて作った番組」
自分がディレクターとして最初に作ったのは1995年にスタートして今でも不定期だけど続けているPUNK ROCK TV(スペースシャワーTV)という番組でした。この時24才。中学2年生の時にPUNKの洗礼を受けてファッションも音楽もPUNKが好きになってバンドやったりライブ観に行ったりしていたので会社の人達にもPUNKが好きですってアピールしてたら先輩が月に1回30分の枠をやりたい事やれと与えてくれた。そのタイミングで既にスペースシャワーTVでは出演経験があったヒカル君(BOUNTY HUNTER)を紹介してもらって2人でPUNKの番組を作る事になり、ヒカル君が「タイトルはPUNK ROCK TVにしよう」と言って番組が生まれました。このタイトルはシンプルだけど素晴らしいタイトルだなぁと今でも思います。

これが仕事始めて3年目、やっぱり社会に出て納得出来なかったり思った様にいかない事あると「辞めちゃおうかな?」って考えた事もあったけど、こんな出会いが待ってたりするし、若い時にやりたい事が見つかったなら続けてみるべきだね。それがキッカケで20年も映像作ってるんだから「石の上にも三年」とは良く言ったものです。

 

 

今回はここまで。
次回は今では考えられないやり方で制作されたPUNK ROCK TV第一回目の話をしてみようと思います。

COLUMN

MENU